ミラネッロに向かいつつアルベルティーニを想う
デメトリオ・アルベルティーニの引退に関する考察の続き。
01-02シーズンにアルベルティーニがミランを出た理由について、個人的には、純粋に戦力として不要になったから切られたわけじゃないだろう、という気がずっとしていました。
アンチェロッティ監督2年目(実質1年目)のあのシーズンは、今になって振り返ると、最終的にチャンピオンズリーグを勝ったことも含めて、新たな黄金時代の第一歩を記す年だった、ということになります。しかし、アルベルティーニが切られたのは、プレシーズンキャンプも始まらない7月初めのこと。その時点ではまだ、そのシーズンのミランを特徴づけることになる一大エポック、すなわちピルロを中盤の底に下げてレジスタにするというアイディアは、影も形もありませんでした。
ルイ・コスタ、セードルフ、ピルロとトップ下(当時はみんなそうだと考えられていた)ばかりが充実していたあのプレシーズン、ミランの中盤で守備的な仕事ができる選手は、ガットゥーゾ、アンブロジーニに加えて、ブロッキ(現フィオレンティーナ)、ダッラ・ボーナ(現サンプドリア)という顔ぶれでした。量はともかく質的に、アルベルティーニを切り捨てるに足るほど充実しているようには、とても見えなかったことを覚えています。
当時アルベルティーニはまだ30歳。MFという消耗の大きいポジションとはいえ、運動量よりも頭脳で勝負するタイプのプレーヤーだけに、まだ衰えが目立つ歳ではなかったはずです。
謎(?)を読み解く鍵になるかもしれないと思うのは、当時のミランが、ひとつの時代に区切りをつけて、新たな勝利のサイクルを築こうという状況にあったこと。実際あの年には、アルベルティーニだけでなく、コスタクルタ、セバ・ロッシという古参組の重鎮3人が切られました。コスタクルタだけは、移籍期限ギリギリになってもチームがみつからず(夏の間ずっと失業状態でトレーニングしていた)、最後の最後でミランにもう一度拾ってもらいましたが、アルベルティーニはアトレティコ・マドリードにレンタル移籍、そしてロッシは引退に追い込まれています。
一度切られたコスタクルタが、あのシーズン、特にチャンピオンズリーグで決定的な仕事をして優勝に貢献し、39歳になった今もチームに残っているばかりか、つい昨日、2007年まで契約を延長したというのも、皮肉な話ではあります。
そのコスタクルタが今なおそうであるように、アルベルティーニも(そしてロッシも)、ミランのロッカールームの中では大きな発言力と影響力を持っていました。もしかすると、アンチェロッティはそれを嫌ったのかもしれないという気もします。
----と、ここまでは、取材先に向かう列車の中で書いていたのですが、目的地が近づいてきたので、一旦パソコンを閉じてガッララーテという駅で列車を降り、そこからタクシーに乗って、ほかでもないミランの本丸、ミラネッロに乗り込んできました。WSD誌で連載しているジェンナーロ・ガットゥーゾのコラム(取材・構成をしています)を仕込むためです。
せっかくなので、そのガットゥーゾにもこの話題を振ってみました。すると、拍子抜けするくらいにあっさりと、こんな答えが帰ってきました。「デメトリオはあの時、控えとしてミランに残ることを拒否したんだ。その選択が正しかったかどうか、俺にはわからないけど」。
もうずいぶん長くなってしまったし、この話の詳細はWSD誌で読んでいただくのが筋なので、これ以上は掘り下げませんが、ニュアンス的には(というのは、かなりの推測を含んでいるという意味です)、ミランでレギュラーとしてやれるという自信を持っていたアルベルティーニと、レギュラーの座を保証できなかったアンチェロッティとの食い違いを、クラブ(ガッリアーニとブライダ)が仲裁した結果がアトレティコへのレンタル移籍だった、ということのように受け取れました。
実際、移籍したアトレティコでのアルベルティーニは、イタリアとスペインのサッカーの違いに戸惑った部分もあったとはいえ、不動のレギュラーというわけではありませんでした。その翌年に移籍したラツィオでも、最初の2ヶ月は往年を彷彿とさせるプレーを見せたとはいえ、その後は大きくパフォーマンスを落としました。
プロの世界というのは、過去の実績や名声すら、通じない時には通じない実力の世界です。アルベルティーニがそうだったかどうかは別としても、バティストゥータとかルイ・コスタとかヴィエーリとかロイ・キーンとか、最近のジダンやロベルト・カルロスとか、衰える時には本当に急激に、残酷なくらいに衰えてしまうもんだよなあ、と思わされるケースはたくさんあります。でも、そこからまた信じられないような復活を果たすケースだってたくさんあります。フィーゴがそうだし、デル・ピエーロも、そしてインザーギもそう。ラウールだって来シーズンはわかりません。
ガットゥーゾは、「デメトリオが唯一後悔しているとすれば、あそこで控えという立場を受け入れなかったことかもしれないな。レギュラーにこだわらなければ、ミランの勝利に貢献することはまだまだ可能だったから」とも言っていました。その時の、ちょっとしんみりした表情は、帰りの列車の中でこれを書いている今も、まだはっきりと思い浮かべることができます。□
Posted: 金 - 3月 24, 2006 at 02:07 午前