PICCOLA STORIA DI S.SIRO サン・シーロの歴史と由来


昨日出たエル・ゴラッソ に、週末のミラノダービー・プレビューを書いたんですが、舞台であるサン・シーロの歴史について書ききれないことがあったので、せっかくだからここで少し。
スタディオ・ディ・サン・シーロの完成は、1923年。当時、ミランのオーナーだったピエロ・ピレッリ(タイヤメーカーの親分)によって、ミランのホームスタジアムとして建設されました。インテルは1945年まで、ミラノの街中(センピオーネ公園内)に今もあるアレーナという競技場をホームにしていました。
現在、スタジアムの名前が捧げられている戦前の偉大なファンタジスタ、ジュゼッペ・メアッツァは、実はキャリアの大部分(1927年から40年まで)をインテルでプレーしています。ですから当時、サン・シーロは彼にとって単なるアウェイだったわけです。メアッツァがサン・シーロをホームにしてプレーしたのは、足の血行不全という奇病から立ち直ってミランに移籍した40ー42年と、インテルがサン・シーロにホームを移した後に復帰した現役最後のシーズン(46ー47)の計3年間だけです。
80年にスタジアムをジュゼッペ・メアッツァと命名したのは、所有者であるミラノ市ですが、これはお役所仕事的なものでしかなく(イタリアでは、学校から体育館から公民館まで、公共の施設にはすべて誰かの名前が冠されています)、サポーターはその後も、インテリスタ、ミラニスタにかかわらず、それまで通りサン・シーロと呼び続けています。「メアッツァ」という呼び方をするのは、マスコミだけだといっても過言ではありません。どこかで(日本語で)、インテリスタはメアッツァ、ミラニスタはサン・シーロと呼ぶという話を読んだ記憶がありますが、眉唾ものだと思います。少なくともぼくは、イタリアで一般人がそう呼ぶのを聞いたことは一度もありません。
ちなみに、サン・シーロというのは、スタジアムがある地区の名称で、元々はその地区にあった教会(聖シーロに捧げられた)にちなんだものです。ただし、その教会自体は、1928年になくなって今は現存していません。地区の名前だけが残っています。
スタジアムそのものは、1935年にミランからミラノ市に売却され、39年には、それまでのイングランド・スタイル(収容人員3万5000人)を土台にした大改築を受けて、今も残る斜めに周囲を取り巻く階段に囲まれた、2階建てのモダンな大型スタジアムに生まれ変わりました。当時の収容人員は15万人でしたが、ほとんどが立見席だったため、戦後に椅子席を設置して8万5000人までキャパを縮小されています。
現在の姿になったのは、イタリア90に向けた大改築によって。従来の2階建てをそのままに、周囲に巨大な8本の円柱を巡らせ、そこを基礎として3階席と屋根を載せるという作業によって、当時としてはウルトラモダンな8万5700人収容の美しいスタジアムが完成したというわけです。
巨大だし、陸上トラックのないサッカー専用だし、ピッチは「じゃがいも畑」と酷評されていますが、観る立場からいえば、イタリアでも最高のスタジアムのひとつであることは間違いありません。個人的には、ジェノヴァのマラッシ(これもスタジアムがある地区の名前)、あるいはもっとこじんまりした専用スタジアム(パルマ、レッジョ・エミーリア、チェゼーナ、ペルージャ、アレッサンドリア)が好みですが。■

Posted: 火 - 10月 19, 2004 at 02:51 午前        


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