TOTTI INDIFENDIBILE
準決勝で会いましょう
トッティの唾吐き事件に関しては、まあ議論の余地はあまりありません。行為そのものは言語道断・弁解の余地なし。出場停止は当然、3試合というのは少な過ぎるくらいです(CLでムトゥに唾を吐いたミハイロヴィッチは、札付きの前科者だとはいえ8試合も喰らっています)。おそらくUEFAの政治的判断も入っているのでしょう。FIGC(イタリアサッカー協会)は、今日行われたUEFAの規律委員会のために、わざわざローマからアンドレオッティ元首相(悪徳政治家の代表、というと言い過ぎか)やセルジョ・クラニョッティ(元ラツィオ会長)の弁護人を務める若手の敏腕女性弁護士を呼び寄せて送り込みました。委員会における弁護の主旨は次の通り。
——トッティは自らの行為を深く反省し恥じており、ポウルセンにも謝罪した。トッティは、TVに映った自らの行為を、これは真の自分の姿ではない、と語っている。
——唾を吐いたのは事実だが、ポウルセンには当たっていない。彼は顔を拭きもしなければ反応もしなかったし、主審に抗議もしなかった。
——行為を捉えたデンマークのTV局のカメラは、90分間ずっとトッティを追っていた。トッティは事前にそれを知らされてもいなければ認めてもいない。これは一種の罠のようなものであり、前例として認めるのは非常に危険だ。サッカーの試合の中では、どの選手も1試合に何度か、何らかの形でスポーツマンシップに反する行為を行っているものだという事実を認識する必要がある。
——以上の情状を酌量すれば4試合の出場停止は処分として過重であり、何らかの軽減が妥当と考える。
結果的には、4試合の出場停止という「求刑」が3試合に短縮されており、元々「犯行」そのものは認めざるを得なかったことを考えれば、これだけでも御の字というものでしょう。もしイタリアが勝ち進めば準決勝から復帰できる計算ですが、これが単なる計算でしかないことはいうまでもありません。そもそも、今回のアズーリはトッティに一蓮托生というチームなわけで……。余談になりますが、興味深かったのはFIGCカッラーロ会長の記者会見での以下のような発言。「トッティは弁解の余地がない重大な過ちを犯した。チームに、そしてイタリアに大きなダメージを与える過ちだ。私はあの映像を見て、大きな過ちを犯した子供に落胆した父親が抱くのと同じような気持ちを抱いている。どんな人間も間違いを犯すことはある。しかしどんな過ちにもそれを取り返す機会はある」考察を始めると長くなるので手短に済ませますが、この発言の背景にあるのは、非常にキリスト教的な、というかカトリック的な倫理です。ひとことでいえば、人間というのは誰でも過ちを犯すものであり、大事なのは過ちを認めてその罰を受け悔い改めてより良き者となることだ、という考え方。この発言の中で、犯した過ちを責めるよりもむしろ、それを許し、受け入れて理解しようとする姿勢が先に立っているのも、その表れでしょう。本件に限った話ではありませんが、責めたり憎んだりするよりは、許したり理解したりする方が態度としては建設的で前向きで救いがあるような気がします。閑話休題。この大会のトッティを見ていて思い出したのが、USA94のロベルト・バッジョ。すでにバロン・ドールを勝ち取り世界的なレベルで大会のシンボル扱いだったバッジョの双肩にのしかかっていたプレッシャーは、いまトッティが背負っているそれよりも、さらに巨大なものだったに違いありません。あの時のバッジョは、初戦が絶不調、次のノルウェー戦で退場になったパリウカの代わりに途中交代という「どん底」を経験しながら、ナイジェリア戦の残り3分で甦り、イタリアを決勝まで引っ張って行きました。当時のバッジョよりもひとつ年を取っているトッティは、残念なことに初戦、自らの不調と靴擦れと相手のちょっとした挑発が重なっただけでキレてしまいました。しかしもちろん、どんな過ちにもそれを取り返す機会はあるというものです。悔い改めたトッティの姿を準決勝で見られることを祈りましょう。といいつつ、明日スウェーデンに負けちゃったらそれでもうおしまいです。いま発売中のN誌に、イタリアの命運を握るのはデル・ピエーロ、このユーロで英雄になるか終焉かのどちらか、という話を書いたのですが、これで活躍のお膳立てはすべて整ったので、お願いだから明日は絶体絶命の窮地からイタリアを救い出す活躍を。■
Posted: 金 - 6月 18, 2004 at 01:39 午前