VALDANO IL SAGGIO
ホルヘ・ヴァルダーノの視点
9月28日のLa
Repubblica紙に、昨シーズンまでレアル・マドリードのゼネラル・ディレクターを務めていた元アルゼンチン代表(86年ワールドカップ優勝)にして文筆家でもあるホルヘ・ヴァルダーノのインタビューが掲載されていました。例によってなかなか興味深いコメントがいくつかあったので、かいつまんでご紹介します。
◇レアル・マドリードの不振
「不振の本質は、あまりにも急速にクラブの現代化を進めたがゆえに、そのプロセスの中で、クラブの新しい、すなわち商業的な側面と、古い、すなわちサッカーそのものにかかわる側面との間に、大きな不均衡が生まれてしまったことにある」
◇デル・ピエーロ
「デル・ピエーロは、単なるアスリートに作り替えられてしまった偉大なタレントだ。新しい肉体を作ってそこに魂を移し替えたようなものだ。しかもそれがガットゥーゾのような肉体だった。私はそれは誤りだったと思う。この変化によって彼はスピードを失ってしまった。デル・ピエーロは、サッカーの秘密を隅々まで知り尽くした創造的なプレーヤーだ。しかし新しい肉体は、それを表現する術を彼から奪ってしまった」
◇カッサーノ
「私が彼のクラブの役員ならば、彼をちゃんと教育しようと試みるだろう。さもなければ、そのままの彼を受け入れて共存できるようチームを教育するだろう。私はマラドーナとプレーし、監督としてロマーリオを指導し、ロナウドのディレクターを務めた。3人ともとても“自由な”人間だ。時には、ひとりの選手を教育するよりもチームを教育するほうがずっと簡単で効果的なこともある。彼らの“自由”を尊重するかわり、チームは勝利という見返りを得ることができるのだから」
◇ルーニー
「誰というわけではないが、ルックスがいいというだけで評価が高まる選手がいる。本来は7の力しかないのだが、美男子だという理由で9の評価を受ける。ルーニーはその正反対、対極にある選手だ。試合を1人で決めることができる、本質的な力を備えているが、それに見合うだけの評価は受けていない」
◇イタリアサッカー
「私がイタリアサッカーを好きなのは、意味のない出来事ですら劇的に見せてしまう、その演出過剰ゆえだ。最近では、トッティのつば吐き事件とそれをめぐる報道が、壮麗な交響曲のようにすばらしかった。イタリアという国の、ほんの小さなことでも大きく盛り上げてそれを味わい尽くす能力には、私は心から感服している。スペインのスポーツ新聞よりもイタリアのスポーツ新聞の方が、ずっと大きな楽しみを与えてくれるからね」
◇ユーロ2004
「サッカーは、勝者を真似ることで進んでいくものだ。ギリシャのように質の低いサッカーが勝利を得れば、時代が5年は逆戻りする。この「凡庸さの逆襲」の背景にあるのは、あまりにも多過ぎる試合数だ。疲労は誰にでも平等に訪れるものだ。上手い下手は関係ない。さっかーにおいて、攻撃するというのはピッチを広く使うということだから、心身のエネルギーを余計に消耗する。年間60試合も戦っているうちには、ギリシャのようにピッチを狭くして戦うサッカーを選んだチームの方が、消耗が少ない分有利になる。こうしてサッカーからスペクタクルが失われていく」■
Posted: 金 - 10月 1, 2004 at 08:19 午後