「粒ぞろい」だった日本U-20代表(2005.07)



 アーカイヴ#55。2年半ほど前のワールドユースをTVで見た時に書いた原稿です。日本の選手がみんな同じに見えるというのは、もはや出尽くした話なのかもしれませんが……。

 ところで、前回のエントリーからRSSを全文配信に変えました。アーカイヴという性格上、時々長文のエントリーがあるので、迷惑なんじゃないかと思っていたのですが、最近ぼく自身も、部分配信のRSSからいちいちサイト本体に飛ぶのを面倒に感じるようになってきたのと、別にアフィリエイトとかやってるわけじゃないし、サイト本体に飛んでいただかなくともテキストを読んでいただければそれで十分なのとで、部分配信にする意味はないという結論になりました。サイト本体の方には、過去に発表した原稿がジャンル別にまとめられているので(というかその作業をこのブログで進めているところなので)、必要な時(?)にお運びいただければと。


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 イタリアに住んでいると、ユースはもちろんA代表も含めて、われらがナショナルチームの試合を観る機会はなかなかないのだが、今回はコンフェデもワールドユースもTV観戦することができた。個々の試合については、もはや語り尽くされている感があるし、普段代表を観ていない分際で筆者が付け加えることは何もない。ただ、ワールドユースを戦ったU-20代表に関して、引っかかったことがひとつある。それは――感想の域を出ないことを承知で言うのだが――どの選手もキャラクターというかタイプがひどく似通っていたということだ。

 ポジティブな見方に立てば、基本的なボールスキルが高く戦術的なディシプリンにも優れた平均点の高いオールラウンダーが揃っている、と言うことが可能だ。だが、あえてネガティブな視点から見ると、中途半端に小器用で個性とパーソナリティに欠ける優等生ばかり、とだって言えなくはない。

 不自然な感じがするのは、例えば、足は遅くてテクニックも並以下だけれど空中戦と1対1には絶対の自信を持つ大型センターバックとか、技術はやや粗いけれど走力と戦術センスだけはあって1人でしっかりサイドをカバーできるウイングバックとか、ボールを持ったらドリブルで突っかけないと気が済まないセカンドトップとか、そういう、欠点はあるけれど個性の際立った選手が見当たらないこと。

 唯一の例外といえるのは、最前線で踏ん張っていた大型FW・平山だが、残念ながら1年半前のWY前回大会からあまり進歩していないように見えた(戦術的な理由もあったと思うが、話が逸れるのでここでは触れない)。
 さらにいえば、ポジションごとのキャラクターのメリハリもあまり目立たなかった。センターバックらしいセンターバック、サイドハーフらしいサイドハーフ(以下略)が目につかず、どこをやらせても無難にこなしそうだけれど、決定的な長所や強みに欠ける選手がやけに多い。何というか、千疋屋でひと箱1万円で売っている白桃みたいに、過剰なまでに粒が揃っている感じがするのだ。

 ここで気になるのは、今回U-20代表に選ばれ出場機会を得た選手たちがたまたまそうだったというだけのことなのか、それとも、育成各年代の日本代表に選ばれるようなエリートはみんなそういうタイプなのか、という点だ。もしかしたら後者ではないか、という気が薄々するのは、1年前のアテネオリンピックでも、これほどではないが同じような印象を受けた記憶があるから。

 JFAはフランスなどをお手本に中央集権的なエリート発掘・育成体制を取っており、明確な育成指導指針も持っている。したがって、育成各年代の代表に選ばれる選手というのは、各地方のトレセンで発掘網に引っかかって、そこから更にふるいにかけられたタレントたちのはず。その結果としてのU-20代表が、あまりに均質な――誤解を恐れずに言うと、長所を伸ばすよりも欠点をつぶすことの方を優先して育てられたような――選手ばかりで構成されているというのは、いいことなのか悪いことなのか。
 まさか、日本中のサッカー少年がこういう小器用なタイプばかりではないだろう。だとすれば、欠点もあるけれど突出した長所(あるいはその萌芽)を持った癖のある異才は、トレセンあたりの発掘段階でふるい落とされてしまっているのでは、という推測も成り立つ。

 もちろん、20歳という年齢は、サッカー選手としてはまだまだ未完成な段階だ。別に、ユース年代で代表に選ばれなくたって、その後ちゃんと成長してA代表に選ばれるくらいのプレーヤーに育てばそれでいいわけだし、日本にも例えばマリノスの中澤のように、そういう選手はいる。ただ、その中澤が日本の育成システムとその延長(高校またはクラブユースからJクラブという定番ルート)ではなく、ブラジル留学という回り道を経て頭角を現した選手だというのは、ちょっと引っかかるところではある。トレセン育ちのエリートが無難な優等生ばかりになり、その一方で癖のある異才を発掘し伸ばすための環境(これは主にJクラブの仕事のはず)が整っていないのだとしたら、それは結構な問題だと思うからだ。
 ちょっと話がとっ散らかったままになってしまったが、紙幅が尽きてしまった。ここから先はまた別の議論になるので、続きは機会を改めることにしたい。■

(2005年7月6日/初出:『El Golazo』連載コラム「カルチョおもてうら」)

Posted: 土 - 2月 16, 2008 at 04:46 午後          


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